魂(たま)合気研究会

一、はじめに

まず初めに、このホームページを作るきっかけから書こうと思います。
平成十六年八月の末、富士山に登頂しました。
その途中七合目に在る東洋館に宿泊したときの事です。
畳敷きのロビーで宿の従業員が仕事も一段落したのでしょう二人で合気上げの稽古をしていました。
これを見て楽しくなり、お相手をさせて戴きました。
向き合って座り膝の上に置いた私の両手に彼の全体重を掛けて力一杯押さえてもらい、それをフワーッと真上に持ち上げて転がしましたら二人とも目を丸くして驚いていました。
次は膝から手をやや浮かした位置で両手を掴んでもらい左右に転がしました。私は手のひらをほとんど動かしていませんし力も入れていません。
力で動かされた感じもなくフワーッと転がされ、これはなんだと不思議そうにしていました。
次に向き合って立ち両手をつかんで押さえてもらい、そっと転がしました。脇で見ていた彼の友達が「そんなにゆっくりならば、転がされる前に手を放して逃げられないの」と問いかけました。
彼は「何故だか放すことができないよ」と答えていました。
もう一人にも同じように合気を行ってから簡単なこつを教えると、なかなか良い動きになりました。
すぐに「僕たち素質がありますから弟子にしてください」と言って頭を下げられました。
有難いけれども此処は遠すぎる(私は埼玉県の住人ですから)と思って黙ってしまったのですが、この時は「ぜひ弟子に」という思いがけない言葉に戸惑って思考が停止したようです。
後になってあれだけ熱中して感激してくれたのですから、なんとか工夫できなかったかなと思いました。
そして、このような合気を行いたい方は他にも居られる筈と思い、まずはホームページを作ってみようと思いました。
霊峰富士山での出来事だっただけに、このときの一期一会は「ご縁のある人たちにも行なって上げてください」という神様(お陰様)のメッセージと思いました。
合気は体術、武術として技を何十年と磨いた上に到達するものというのは思い過ごしです。
強くなる事を目的にせず合気は、合気として稽古すればすぐにも上達します。
ですから当身、突く、打つ、殴る、或いは蹴る、叩きつける、関節をきめる等の痛い技は行っていません。
痛めつける技は、力まないという合気の本質から離れ上達を妨げるからです。自由な雰囲気で笑いの中で行う事が上達の近道と思います。
合気では、掛けられたときに、力と感じたときには、技をかける側に何か不具合があるので、その原因を探すことで発見があります。
不具合には、力んでいる、居ついている、中心軸から外れる、相手とつながっていない、体重移動が不確実、いろいろな要素がありますが、それは判断がついてくるものですい。合気は力を使わないことが原則です。力を入れたり、力んだり、すると力んだ箇所で気が滞り、気の効果が削がれます。
気を使うから良い動き、無駄のない動き、疲れない動きになると思います。
気とは気持ち、こころのありかたと捉えて良いと思います。
無心で動けるときが最良の動きとも言えますが、無心の定義、説明は難しいので、とりあえずは頭であれこれ迷わないこととしておきます。
とりわけ、力みが取れないという不具合が多いのは、日常生活での仕事やスポーツ力をいれることが多く、その癖が染みついているからです。
その癖を取ることはそれほど難しいことではありません。何事も同じですが、素直に出来ること、思い込みを捨てられる頭の柔らかさがあればすぐに上達します。
用意不要力という言葉は太極拳の用語ですが「意を用い、力を要せず」という言葉は、合気とも共通しています。しかし魂合気は太極拳と原理は違います